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三国志(序5) 

カテゴリ:茶朗

曹操とは

乱世の姦雄

曹操(字は孟徳、幼名は阿瞞)の祖父にあたる騰(とう)は宦官でしたが、宮廷での功績が認められ、養子をとることが許されます。曹操の父である、嵩(すう)が曹家を継ぎました。
曹操は経済的にも何不自由なく育てられますが、宦官の家柄であることに負い目を感じ、その人格形成に影を落としていました。
しかし、並外れた智謀に富み、武芸は秀で、大変な読書家であったといいます。ある日、許子将は、若き日の曹操に治世にあっては能臣。乱世にあっては姦雄。と評しています。



曹操の人間力
「演技」では悪役として描かれている曹操ですが、その実像は古いしきたりや秩序にとらわれることなく、強いリーダーシップを持つすぐれた指導者でした。
例えば、兵糧庫不足を解決するため、戦乱で難民となった人々に土地を与え耕作させる屯田制を取り入れました。これにより兵糧を確保し、農民は生計を維持できるようになったのです。また、青洲黄巾族の反乱を鎮圧した際に、彼らの信仰を認めたうえで、彼らを自身の軍に取り込むなど、大胆な策を次々に用いました。
さらに曹操は家柄にかかわらず、すぐれた資質を持つ人物を積極的に登用する徹底した能力主義者であったため、彼の周りには多くの人材が集いました。



幼少時代
正史「三国志」には、以下のエピソードが記されていました。
子供の曹操は、何かと告げ口をする叔父に仕返しをしようと考えました。そこで、わざと顔を歪め「麻痺」にかかったと告げます。この話は叔父から父の嵩の耳に入ります。
あるとき、父が心配し「麻痺は大丈夫か」という問いに、曹操はとぼけたふりをして「私は麻痺になどかかっておりません。叔父が口からでまかせを言っているのでしょう」と答え、以降父はその叔父を信用しなくなったとあります。 


曹一族の系図 

図.1 曹一族の系図

          






簡単な人物紹介

曹騰…曹操の叔父。質帝が暗殺されたとき、後継者として暗愚なレイ吾候(桓帝)を推挙する。

曹嵩…字を巨高という。夏候氏の子で夏候惇の叔父にあたる。曹騰の養子となり曹家を継ぐ。性格はまじめで忠孝の念を忘れなかったという。

許子将…許劭(きょしょう)のこと。字は子将。人物批評の大家で、毎月、月初めに人物批評の会(月旦会)を開き優秀な人材を推挙していた。この時代では著名な人に人物批評をしてもらうことは、出世の近道だった。

宦官とは…後宮などに使えた去勢された男を指す。当初は征服された異民族の捕虜から差し出されたが、後に宮刑(去勢される刑罰)された者が主になった。なお、隋以降の時代では民間から去勢した人間を献上することになったが、権力者のそばに仕えていたため腐敗政治の温床ともなった。

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この記事へのコメント

ここまでちゃんと書けるのほんとすげーと思ったじょ!
ちゃんと理解できるまで読みます!

Re: 三国志(序5)

僕はマスターの腕っぷしの強さにすげーと思います!
僕も入力してて、解らないことだらけですが楽しいです^^

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